こんにちは。
大学2年生,20歳だったときのことです。当時,友人が小田急線沿いに住んでいて,たまに遊びに行っていました。
ある日,小田急線の電車に乗っていると,成城学園前の駅で,2人の女学生が乗ってきました。そこはまだ20歳の男子です。女学生の姿を横目で確認したりします。別に声をかけるとか,そんなことをするわけではないのですが,ああ,きれいな方だなあとか,おしゃれだなあとか,そんなことにも心をときめかせる年頃ですね。
この2人の女性には,なんとなく違和感を感じました。おしゃれで小ぎれいな格好をされてはいるものの,同じ年頃の女の子たちが着るような流行のファッションで身をかためているわけではありません。
かといって,大学の同級生に多いような,まじめで勉学に励んでいる女の子たちが,つつましくおしゃれをしているような感じでもありません。
電車が動き出し,その方たちの会話が聞こえてきたのですが,これに驚愕しました。
「わたくし,今度の夏休みは,軽井沢で過ごしますのよ。」
「あら,わたくしも,軽井沢には父の別荘がありますの。」
いっさい脚色はありません。言葉遣いもこのような感じでした。しかも,ごくごく普通のことのように,誰もが別荘を持っているし,それがない世界など存在しないかのように,お話しされているのでした。
最後は,お1人だけが途中で降りられたのですが,「ごきげんよう」などとお別れのあいさつを交わしていました。
人というのは,幼いころから自分が育ってきた環境というのが,ごく当たり前だし,世間一般の中でも標準的な暮らしであると考えがちでしょう。とくに恵まれた方ほど,そのように考える傾向が強いように思います。
しかし,現実にはそうではない場合も少なくないでしょう。小中学生の方に考えていただきたいのは,ご自分が当たり前と思っていることも,非常に有り難い恵まれたことなのかもしれないということです。
たとえば今,学習塾に通っているとして,もしかしたら,それはものすごく贅沢なことなのかもしれないな,ご家庭の事情で塾に通えない人もいるだろうな,などと考えてみてほしいのです。
極端に言えば,当然のように学校に通っているでしょうが,それもものすごく贅沢なことなのかもしれません。世界に目を向ければ,学校に行かずに働いている子どもや,地域に学校がない子ども数多いでしょう。
日本ですら,病気で通えないとか,さまざまな事情で通学できない子どもたちがいます。
大切なのは想像力でしょう。こうした考え方をしてみると,視野が広がってちがったものの見方ができるかもしれません。自分の将来や生き方についても,また違う世界が見えてくる可能性もあるでしょう。
では。