志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

理解が広がる快感

こんにちは。

 

おそば(念のため,食べ物の蕎麦です)を題材にした落語がいくつかあるようです。

私は友達に誘われて1度だけ落語を見たことはあるのですが,落語に興味はありません。ただ,今日紹介するそばの話(題名はわかりません)であるとか,「もう半分」であるとか,「まんじゅうこわい」といった有名なものの話の筋はなんとなく知っています。

本で触れられていた,人から聞いた,問題集に題材として載っていた,…などの理由で知っているのでしょう。

何事に対しても「面白いな」と興味を持ちながら触れていると,自然と知見は広がっていくものでしょう。この「楽しむ」という姿勢は学力を伸ばすことに通じていると思います。

友人の先生がいらっしゃいます。塾で国語を教えていらっしゃるのですが,学生時代は「落語研究会」に所属されていました。小学生向けの教材に「まんじゅうこわい」が出てきたと嬉しそうに語っていらっしゃいました。生徒たちはものすごく勉強になったでしょうし,特別におもしろい授業であったはずです。

知識などというものは,実際にどこで役立つのかはわからないものです。また,この授業が面白かったと強く印象に残った生徒たちも,いつかどこかで「まんじゅうこわい」の知識が役立つときが来るのでしょう。

 

先日,TOKIOさんの出演されているテレビを見ていると,東京に古くから伝わる深大寺そばを手打ちして食べる企画が放送されていました。その番組によれば,江戸時代にはめんつゆはお味噌ベースで作られていたそうです。実際に城島さんなどが江戸時代のつゆを再現したものでざるそばを食べていたのですが,つゆの味が濃く,そばの風味が殺されてしまうとお話されていました。

 

ここで,落語を思いだしました。

そば通の老人がいらっしゃるのですが,自分は通であるからそばの風味を味わうのだと言って,そばの先端にほんの少ししかつゆをつけずにそばを食べていたそうです。

その老人が亡くなるとき,最後の言葉として,「一度いいからたっぷりとつゆをつけてそばを食べてみたかった」とおっしゃったという落ちがついています。

 

おそらく,たっぷりとつゆにつけてそばを食べるようになったのは,明治時代以降のことで,しょうゆベースのつゆが普及してからなのでしょう。味噌は味が濃く,ちょっとしかつゆをつけないというのは大げさでも,箸にとった麺の半分ほどしかつゆに浸さずに食べるというのが一般的であったのではないかと考えました。

 

落語と江戸時代のそばの文化に関する知識が見事につながった瞬間でもあります。

あの落語はこういう背景があったのかと,急に眺望が開けてきたように感動がありました。ちょうど,登山をしていて峠に差し掛かると,目の前に山の向こうに広がる景色がいっぺんに表れてくるような感動でしょうか。

 

勉強をしていても,断片的な知識がつながって,一気に理解が広がると同時に深まっていくことがあります。ものすごく爽快です。

それが勉強をする1つの楽しさであると改めて考えました。

 

では。