こんにちは。
今年はさんまが獲れているそうで,手の届く価格で購入することができます。
秋の風物詩を味わうことができるのはありがたいですね。
スーパーで大きめのさんまが200円で売っていました。
塩焼きにして食べたのですが,たぶんさんまの塩焼きは4年ぶりです。私はさんまを頭からそのまま丸ごといただくのですが,こんな食べ方をしたのも当然4年ぶりで,そうそうこれだねと,懐かしさと感慨深さを感じました。
この「200円」という価格設定にスーパーの苦労がうかがえます。普通はこういうものは「198円」と値が付くものです。2円を惜しんだのでしょう。それだけ利益が薄く,スーパーもサービス品として売ったのかもしれません。
スーパーの苦労といえば,最近,スーパーのお弁当の容器が底上げになりました。
以前から容器は底上げで,底の形が凸レンズのように膨らんでいました。ご飯を盛る量を減らす工夫でしょう。この膨らみがさらに大きくなったようです。
涙ぐましいコストカットの努力ですね。お値段はそのまま据え置かれています。
お弁当に限らずお菓子でもチーズでも量が減ったものは多いですが,量はそのままにして値上げするほうが,経済全体にとってはいいように思います。不景気の原因はそんなところにもあるのかもしれません。
何かのために「量」を減らすことを,勉強においても行っている場合があります。
たとえば英語の勉強をがんばっていたとき,さらに社会も一生懸命にやろうとします。英語の勉強は減らして,その分だけ社会の勉強を増やそうと考える方が多いでしょう。
合計の勉強時間は変わりませんが,英語の「量」は減らしています。
もしも高いところを目指すのであれば,英語の勉強を減らさずに,社会の勉強を増やすべきですね。
それこそ,テレビでもインターネットでもスマホでも「量」を減らせる場所,減らすべき場所は他にたくさんあるはずです。
究極的には,人間は24時間という時間をどう振り分けて使っていくかという問題にたどり着くと思っています。それはつまり生き方の問題ということでしょうね。
勉強の人生を歩むということは,そうした時間の使い方を自然に選んでいくことでもあります。
では。