志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

AIが活躍する未来

こんにちは。

AIの進歩によって,現代とは大きく様相の異なった未来が訪れることと思います。
多くのことをAIが肩代わりするようになると言われています。そろそろAIが運転する無人タクシーが実現しそうですし,みなさんが使用されているスマホに搭載の「siri」もAIです。10年前には,このようなことは夢想だにしなかったわけですから,技術の進歩は早いですね。
ちなみに,私はまだガラケーを使っています。今の機種を使い始めてから,そろそろ10年になります。スマホにはしたくはないのですが,近々壊れてしまってスマホにせざるを得なくなるかと思います。

AIが普及した未来について,多くの人が失業して貧困が蔓延するディストピアを予想する意見と,反対に,人々の暮らしが便利になって,働かなくても暮らしていけるようなユートピアの到来を予想する意見があります。ユートピアが来るなら,マルクスが予想した高次共産制の「必要なときに必要なだけ働いて必要なだけ得る社会」みたいだなと,学生時代に経済史を学んだ私には不思議な感じを受けます。
どうなるのかはわかりませんが,「中庸」というのが常に真実に近いように私は信じています。便利になるだけで,多くの人が働いて所得を得て…と,今と大きくは変わらない生活になるのかなと,個人的には思っています。

AIの発展した未来がどうなるのかはわかりませんが,一部の業界ではすでにAIが人間を凌駕しています。そういう世界を見れば,未来についてなんとなく予想がつくような気がします。
私の場合は将棋が好きなので,将棋におけるAIの発達には注目をしていました。
一昨年,佐藤天彦名人がAIに2連敗し,それもどちらも惨敗でしたが,完全にAIが人間を超えたことは疑いのない事実であると証明されたと思います。しかも,名人は事前に本番と同じソフトを貸し出され,相当な時間を研究に費やすことができました。これは相当なハンディで,名人だけが同じ相手と事前に何度も練習試合ができたということです。それでも勝てなかったのです。

その2局の将棋の中で,ものすごく驚いた手をソフトが指しました。
将棋に詳しい方のために書くと,第一局(ソフトの初手が▲3八金という信じられない手でした)の▲7四歩とついた手です。(後手は7三に銀,8四に飛がいました)

インターネットの中継を見ていましたが,解説では全く触れられなかった手です。おそらく,世界の将棋ファンの中で,この手を予想した方は1人もいらっしゃらなかったと思います。当てたとすれば,初心者の方でしょう。ある程度強くなると,絶対に考えない手でした。
見るからに感触の悪い意味不明の悪手に映りました。しかし,数手進むと,▲7四歩の意味がわかってきて,(プロの方なら指されてすぐに気がついたのかもしれませんが)それがものすごく良い手で,考えれば考えるほど,それを指された名人が苦しいことがわかるのでした。

将棋は,よく考えて指すというイメージをお持ちの方が多いかと思います。
しかし,実際には考えていない部分がものすごく大きいです。極端にいうと,考えないでも将棋は指せます。(それだと弱くなりますが。)
相手の手を見た瞬間に,自分がどう指そうか,ほとんどの場合は1つの手が,難しい局面だといくつかの候補の手が浮かぶものです。プロの先生方などが長時間考えていらっしゃるのは,本当にこれでいいのか確認したり,候補手の中でどれが最善か比較検討したりしているわけです。
さきほどの▲7四歩は,見たときにも絶対に人間は候補にあげない手ですし,もっと良い手はないかと長時間考えたとしても,おそらく思いつかないような手に思えます。
(将棋の内容だと,相手に歩をあげることになる,相手の働いていない銀が前に出てくる,と,マイナスばかりが目立つ手でした。)
名人が惨敗し,人間の将棋の世界をはるかに超えた好手をAIは指すのです。
将棋以外でも,AIが活用されると想像もしないような成果を生み出すかもしれません。

それで最後に,どんな未来が訪れるのか,ということに対して,私の個人的な予想を書きます。
「中庸」と書きましたが,やはりそんなに変わらない気がします。
AIに勝てなくなってもプロ棋士の対局,人間同士の対局は面白いですし,自分が将棋を指すことが楽しいのも変わりがありません。ただ,将棋の技術が大きく進歩したことは事実です。
これまでにも様々な技術革新が起きてどんどん暮らしが便利になりましたが,「働いて所得を得て…」という根本の部分は変化していません。AIが人間を凌駕しても将棋界も根本部分は変化していません。
働くという人間の営みは,そう簡単には崩れないような,そんな気がしています。

教育界もAIの進歩でどんどん変化するかもしれません。
それについてはまたの機会に書くかもしれません。

では。