志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

辞書を引きたい年齢に

こんにちは。

 

古本屋で100円だったので,『泥の河』と『螢川』(いずれも宮本輝著)が収録された文庫本を買ってきて読んでいます。

中3か高1のときに読んだと思われ,数十年ぶりに読み直しているわけです。

 

見たことがないようなきれいな表現,難しい単語などにたくさん出会います。単語に関しては,熟語であれば漢字から意味が推察できますので,当時は辞書を引かずに読んだのだろうなと,当時のことを想像しました。

 

次のように書かれた箇所もありました。

「落ちん手形を百も承知で、あいつは割ってくれる」

これも当時の自分は意味が分からず,ただ文脈から判断して「金を工面してくれる」という意味だろうなと推察し,調べることなしに読み進めたと考えられます。

「○月○日までに○○円支払います。」と約束したものが手形で,日本の商習慣として手形でお金を支払うことがありました。今でも建築業などでは残っているかと思います。「手形が落ちない」とは,期日になっても入金がない状態のことで,「割る」とは,「割り引く」ともいい,期日前の手形を額面の金額よりも値引いて売買することです。

 

こんなことを知ったのは大学時代です。経済史の講義で,関東大震災後の混乱について学んだときに知ったと思います。

だから,中学か高校生の自分が知らなかったとも,はっきりわかるのです。

 

逆に,中3の夏休みに読んだ『罪と罰』に関しては,翻訳が古臭かったこともあり,「後生だから」とか「憤慨した」とか,わからない単語を辞書で調べながら読んだ記憶があります。

どうして辞書を引いたのかというと,単に,何度も出てきたからでしょう。

 

しかし,昨日,本を読みながら考えました。些細な単語でも,辞書を引きながら丁寧に読むと,作品への理解が深まり,より表現が美しいと感じられ,さらに文芸作品に没入できるのではないと。

なんだかもったいないことをしてきたような気もしますが,たくさん本を読んでいた時代ですので,これでよかったのだと思います。逆に今は歳をとったから,辞書を引こうという気持ちにもなれるのでしょう。

 

勧めるわけではありませんが,辞書を片手に丁寧に本を読むと,読解力は上がると思います。ただし,あくまで楽しんで本を読んでいるというのが大前提ですので,勘違いなさらないでください。

 

では。