志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

将棋盤への懺悔

こんにちは。

 

20代の頃,囲碁を習っていたことがあります。

会社のお偉いさんが囲碁が好きで,「君は将棋が強いなら,囲碁もやりなさい」と,半ば無理矢理にはじめさせられたものです。

 

同じボードゲームでも,まったくの別物です。陸上競技と水泳くらいの差はあるでしょう。もともと,ゲームや博奕の才能(この二つには共通点が多いと思います)があるわけではなく,好きではじめたわけではないので楽しくもなく,それでも「業務」なのでつづけていて,やっとルールがわかりはじめてきました。

 

で,そんな矢先に止めることになります。

初心者のうちは,9路盤という小さな盤で囲碁を打ちます。本物だと19×19の目でやるのですが,それだと大変なので,9×9の目で行うわけです。

囲碁教室に行ったある日,その日はなぜかいつも使っている9路盤が見当たりませんでした。

先生は「いいのがあった」と,違う盤を持ってきました。目を数えて「10路盤だけれど,これはちょうどいい。しかし,何の盤なのかね?」などとおっしゃっています。

 

私はそれが何なのか見た瞬間にわかりました。将棋盤です。将棋は四角のマス目の中に駒を置きます。対して以後は線と線との交点に石を置きます。9×9マスの将棋盤だと,縦線と横線がそれぞれ10本あり,10×10の目となります。

 

私ははっきりと拒否しました。それは将棋盤です。やりませんと。ある程度本格的に将棋を指す方であれば,将棋盤を神聖なものと考えているでしょう。将棋盤を机にするとか,子どもが乗って遊ぶとか,将棋への敬意や愛が感じられない行為に対しては,憤慨するものです。碁盤の代わりにするなど言語道断です。

 

しかし,一路多いだけで同じだから,さあやろうやろう,と強引に押し切られてしまいました。他に生徒さんがいらっしゃることもあり,迷惑はかけられないと,その日は渋々打ったのでした。

 

将棋盤を冒涜してしまった情けなさや自分自身への怒り,知らなかったとはいえ将棋盤を囲碁に使った先生への不満,加えてあまり楽しくはなかったこと…

それで心がぽっきり折れてしまい,それ以来一度も囲碁はやっていません。

 

親御さんであれば,「勉強しなさい」などと口にすることは多いでしょう。

しかし,相手への敬意や相手のことを理解する気持ちがないとうまくいかないものです。勉強しなさいと口うるさく言うことで,逆に気持ちを折ってしまうこともあるでしょう。

 

では。