志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

地平の先に感動がある

こんにちは。

 

よく,勉強は意味がないとおっしゃる方がいます。

漢文などなんの役にも立たないとか,

数学の三角比を勉強したところで,社会に出てから使うことはないだろうとか,

要約すると,実社会で使用しない学問だから,勉強することに意味がないという意見です。

 

いろいろと反論したいことはあるのですが,こんな話を書いてみたいと思います。

数学を例にとってみます。私の場合は仕事で教えているために,さまざまな数学の知識を役立てて生活しているのですが,それを抜きにすれば,たし算,ひき算,かけ算,わり算,割合の計算くらいしか日常生活では使っていないかもしれません。たまに確率の計算はすることがあります。それでも,学んだことのごくごく一部しか使っていません。

 

大学に入ったときのことです。

大学では,高校数学からさらに発展した内容を学びました。

自分の貧困な語彙力では上手に表現することはできないのですが,やっと学問としての数学の世界が見えたぞ,なんだか難しくてよくわからないことも多いのだけれど,これはすごいものだぞ,こういうことがやりたかったから,今まで少しずつ基礎を勉強していたんだな,と,その世界観に感動を覚えたのでした。

山登りをして,やっと頂上にたどり着いたときに,眺望が開けて美しい世界が目に飛び込んできた感覚と似ているでしょうか。

 

ほかには,私は経済学部で,経済史という名の歴史を専攻していましたので,経済学や歴史については,多少は詳しく勉強をしています。

経済学でも,今まで学んできた数学や政治経済の知識が融合して学問への理解が深まることで,一気に視野が広がってたくさんのものが見えるようになり,興奮を覚えたことはあります。

歴史でもそうですね。社会史や文化史はものすごくつまらないと思っていた時期があるのですが,詳しく勉強していくと,社会と政治,経済,文化,さらには前後の時代とのつながりが立体的に見えてきた,社会史が文化史がたまらなく面白いと感じるようになりました。

 

全部の学問分野でそうした感動を味わうことは無理かもしれません。しかし,一生懸命につづけていると,どこかで学問のすばらしさに気がついて感動を得られるかもしれません。

どの道に進むのかは今はまだわからなくても,どれが好きなのかを知るために,大学レベルの学問の基礎として,一通りのことを学んでおくのは意味がありそうですね。

 

では。