志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

目に見えない勉強

こんにちは。

 

今日は9月3日で,気がつくと,近所の中学定期テストまであと2週間となりました。

さらに,中学3年生はあと1週間後に学力テストがあります。

 

テスト勉強でもふだんの学習でもそうですが,勉強量が成績を左右する大きな要素のうちの1つです。

「〇〇くんと同じように毎日4時間勉強しているのに成績では負けている」とか,「私のほうが勉強時間は多いのに成績が上がらない」とか,そうした言葉を聞くことは多いです。

 

勉強の密度に差はないかとどうか,勉強時間のカウントの仕方がおかしいのではないか(塾での勉強時間を数えるかどうかなど)など,いろいろな要因は考えられます。

こうしたことは,今までの記事でも何度か触れたでしょう。

 

今日は「目に見えない勉強」について書こうと思います。

私が高校2年生のときのことです。学校の勉強以外に,自分で英作文の参考書を買ってきて勉強していました。

そのころ行っていたのが,周りのようすを英語で表現してみることでした。

通学には時間がかかりました。自転車で行くときには30分強,バスと地下鉄で行くと1時間かかりました。通学中に目に見えた景色であるとか,周囲のようすなんかを,頭の中で英語にして表してみていました。それなりに楽しめましたし,暇つぶしにもなりました。

それで,表現の仕方がわからなかったりすると,あとで辞書で調べるなどもしていました。勉強したばかりの表現が使えると,おお,勉強を生かせたぞと嬉しくもなりますね。

これなどは絶対に英語の勉強になったはずです。しかし,勉強している意識もなかったですし,当然ですが勉強時間としてカウントなどはしません。

 

一生懸命に何かを暗記しようとしているときは,お風呂に入っているときでも,一生懸命に覚えたことを頭の中で復唱しました。忘れていたことがあると,お風呂上りにすぐに確認します。これも立派な勉強ですね。

ふだんの暮らしの中にも勉強に関わることがたくさん出てきます。気象の勉強をすれば,空を見て「あれは巻積雲だ」などと確認し,サラダにドレッシングをかけるときでも「浸透圧」について思い至り,…と,生活の中に学んだことを発見すると,新鮮な驚きと嬉しさ,楽しさがありました。

 

勉強をしていないときには,たとえばずっとゲームのことを考えているとか,野球のことを考えているとか,そうして場合と比べたとき,目に見えない勉強時間,そして学習の成果は大きく違ってくるでしょう。

もちろん,野球のことばかり考えているのであれば,野球の上達も違ってくるはずで,やはりそれは生き方の問題でしょう。

 

しかし,こうしたことは意識してやろうとしても限界があるように思います。自分自身の中での勉強の位置づけが上がること,勉強が好きになることができれば,自然と行うようになるのだと思います。繰り返しますが,生き方の問題です。

 

では。