こんにちは。
昔のテレビ番組で「スポーツマンNO.1決定戦」というものがありました。各界のアスリートやスポーツが得意な芸能人を集めて,さまざまな競技でポイントを競うものでした。
その中の競技の1つに「モンスターボックス」というものがありました。巨大な跳び箱を跳ぶ競技なのですが,世界記録は跳び箱23段,実に高さ3m6㎝だそうです。かつてのオリンピック体操のメダリスト池谷直樹氏が世界記録を保持しています。
昨夜のテレビ番組で,モンスターボックスが行われていたので懐かしく見ていました。
池谷氏も出ていたのですが,さすがに往年の力はなく,番組で登場したのは18段,実に2m56㎝の跳び箱が最大のものでした。
私は運動があまり得意ではありません。
跳び箱ももちろん上手ではありません。単純に,なぜ巨大な箱を跳び越えようと思うのか,ぶつかるかも知れないのに箱に向かって走っていけるのはどうしてなのか,まったく理解できません。何より落ちて怪我をするのが一番怖いですね。
跳べるとか,跳ぼうなどとは絶対に考えないわけです。ましてやモンスターボックスは身長よりもはるかに高い巨大な箱です。やってみたいなどとは露ほども思いませんし,練習してできるようになりたいとか,挑戦してみたいなどと考えることも決してないでしょう。
しかし,アスリートたちは,跳んでみたい,やってやるぞと考えるのでしょう。
跳べるイメージも描けるのでしょう。イメージが頭の中にないと,絶対に跳べないでしょうから。
ふと考えたのですが,東大の入試問題であるとかものすごく難しい数学の問題があったとき,私の場合は「楽しそうだ」とか「解けないかもしれないけれど考えて見よう」とか,簡単にいえばワクワクするわけです。
解法を知ったときには,美しいなあなどと感動もするでしょう。
ただ,東大の問題を前にして私のように感じるのはごく一部の人だけなのでしょうね。
多くの人は,モンスターボックスを目にした私と同じ気持ちになるのでしょう。絶対にやりたくないと。
こういうのが適性なのでしょうね。
どうやら適性のあるところで努力すべきなのだろうなと改めて感じました。
スポーツだと,やりたくないという子どもに無理にそれをさせることは稀です。しかし,勉強の場合だとあちこちで起きています。スポーツが怪我に結びつきかねないように,勉強でも過度の強制は逆効果となることが少なくないように感じます。
では。