志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

「詰む」という若者言葉

こんにちは。

 

はじめは聞いていて大きな違和感のある表現でした。

若者たちが「詰む」という用語を使用しています。意味としては,「どうしようもない」,「すべてだめになってしまった」,「もうおしまいだ」くらいでしょうか。

 

用例としては,

「明日テストなのに何も勉強していないや。詰んだな。」

「人生が詰んだ」

「今日提出の宿題を家に置いてきた。詰んだ。」

などでしょうか。

 

若者が使用していることが多く,インターネット上でもよく見かける言葉です。最近では,ある程度の年齢の方でも使用しているように感じています。

 

しかし,この「詰む」という語句を,現代の若者と同じ意味で,私は何十年も前から使用しています。将棋を指すからですね。将棋で「詰む」とは,王様の行き場所がなくなってしまい,絶対に取られてしまうしまう状態,即ち負けた状態になることを意味しています。それが転じて,さまざまな絶望的に状況を「詰む」とか「詰み」などと表現してきたわけです。

 

遊んでいて終電がなくなったときには「終電が詰んだ」とか,将棋の大会に遅刻して間に合わないときには「大会詰んだ」とか,そのような感じで,将棋が好きな人たちは日常会話で使用しつづけてきました。

おそらく,最近の将棋ブームも手伝ってか,将棋界の「業界用語」が一般に流布したものなのでしょうね。

最初に書いた違和感というのは,将棋を指さない方が「詰む」という表現を使用していることに対してのものです。若者言葉なのにおじさんがすんなり理解できるぞ,というのも変な感触があります。

 

若者たちが使用していた造語や隠語が,いつの間にかみんなが使用するようになって「市民権」を得て,辞書にまで載るようになったり,誤用が徐々に広まっていき,いつの間にか間違えた意味が正しい意味に取って代わったりと,日本語は常に変化していくものです。

 

この「詰む」という表現に関しては,変化のど真ん中に私がいて,日本語が活きていて変化していく様をつぶさに見ているような感覚があります。

ふつうは日本語の変化を時間の経過とともに追いながら感じることはないでしょう。貴重な体験をしているのでしょうね。

 

では。