こんにちは。
大学の講義で,担当の先生がゴーゴリの『外套』を紹介してくださいました。いかにすばらしい小説なのか,どういったところにおもしろさがあるのか,当時の時代背景を解説しながら教えてくださいました。
先生ご自身が,この作品が大好きなようで,非常に熱っぽく語っていらしたことを覚えています。
講義を聴き終えた私は,そのまま大学の図書館に向かいました。
ゴーゴリの全集を見つけ,収録されていた『外套』を夕方までかけて一気に読み終えたのでした。
このときには,ひどく感動しましたし,それで一気に読み終えもしたのでした。
もちろん,先生の解説を聴いた直後だったからでしょう。
ロシア文学の特徴であると思うのですが,前半部分がものすごく退屈でつまらないのです。しかし,後半からは一気におもしろくなり,物語に引き込まれます。また,一人の人物がさまざまな呼び方(本名,愛称など)をされるため,ある人物がどう呼ばれているか,メモしながら読まないと,誰が誰だかわからなくなります。
そんなわけで,途中で読むのをやめてしまったロシア文学作品もいくつかあります。
しかし,このときほど楽しく,前半部分もさほど退屈せず,ロシア文学を読んだことは後にも先にもないと思うのです。
この日は,きっとこの講義の次の時間の講義をさぼったと思うのです。
でなければ,時間の制約で『外套』は読み終わらなかったと思うのです。
決してほめられたことではありませんが,今ではそんなことは些末なことで,すてきな作品に出会えたことのほうがはるかに価値あることでしょう。
そんなこんなで損をしてきたことも少なくありませんが,こういう勢いや衝動を大切にする自分自身の生き方を,今では肯定的に考えています。ときにこうした行動は,思わぬ果実へと結びつくでしょう。
では。