こんにちは。
3学期の授業がはじまって早々,札幌西高や札幌丘珠高校でクラスターが発生しました。生徒さんたちの大学入試に影響が出なければいいなと心配する一方で,やはり学校は休校にすべきではなかろうかとも思っています。
さて,昨日シャークスピアについて触れました。
いまいち作品のすばらしさが理解できなかったのですが,外国文学には共通して面白さが伝わりにくい要因があるように思っています。
翻訳していることです。
将棋や囲碁に例えてみると,文豪の実力はみなさん「名人」級でしょう。しかし,翻訳される方はプロの作家ではありませんし,ましてや人気作家には程遠い実力でしょう。「アマチュア高段者」レベルではないかと思います。
したがって,ある作品が翻訳されたとき,どうしても作品のさまざまな部分において,その魅力が「アマチュア高段者」レベルに落ちているのではないとか思うのです。
私自身の経験を思い出しても,心の底から素晴らしいと楽しめた作品は,日本の作品のほうが圧倒的に多いです。
やはり翻訳の壁があるのでしょう。
他にも国によって差異はありますが,文化の差が作品を理解しにくくしていることもあります。たとえばロシア文学だと,日本人には理解しがたいようなニックネームが出てきます。どれが誰のニックネームなのかまったくわからず,人物の名前をメモしながらでないと話の筋がよくわからなくなることがあります。
大学時代のアルバイト先で仲良くしていた方も,これと同じようなことをおっしゃっていました。それでも外国文学を楽しんでたくさん読まれていた点は私との違いです。本当に好きだったのでしょう。
彼女がもっとも憧れている作品は,マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』だとおっしゃっていました。
翻訳の壁に対して彼女がどうしたかというと,英語で作品を楽しみたい,辞書なしですらすらと読めるほどに英語を身につけたいと考え,津田塾大の英文科に進学されていました。
学問に対する本来のあるべき姿であると思います。
勉強が得意,不得意にかかわらず,好きなもの,打ち込めるものを見つけられるというのは幸せなことですね。
バイトは2年で辞めました。それ以来,この方とは接点はありません。
今もお元気で文学を楽しまれているといいなと思っております。
では。