こんにちは。
私はおそらくひねくれた生意気な少年だったことでしょう。自分のことですから,それはよくわかります。
ところが,今の子どもたちは,育ちの良さやご家庭の暖かさに由来するのでしょうけれど,真っ直ぐないい子たちばかりです。こうしたすばらしい生徒さんたちに恵まれていて,心から感謝しております。
さて,物事にはすべて陰と陽,正と負の両面が存在していると思っています。素直で明るい子どもたちの,もしかしたら「負」になっている部分について考えました。
文学に傾倒なさっているある先生にお話を伺いました。中2の頃に読まれたヘルマン・ヘッセに惹かれ,以来,ヘッセを愛読するようになったそうです。
ヘッセの作品は,中1の国語教科書にも『少年の日の思い出』が登場します。(光村図書には出ていますが,他の教科書で取り上げられているかどうかはわかりません。)
また,私も中学3年か高校1年のとき『車輪の下』を読みました。
どちらの作品にも共通すると思いますが,鬱屈とした世界観を感じます。私の場合には,読みたくなくなってしまって,車輪の下を半分ほどしか読みませんでしたが。つまり,こうした世界観が合わなかったのでしょう。
逆に,愛読するようになった先生にとっては,その世界観や考え方が,当時のご自身にはまったのでしょう。さまざまなことを考えながら生きていらしたこともわかりますね。
私の場合には,中3のときにドストエフスキーの『罪と罰』を読み,以来,彼の作品を愛読するようになります。
なんとも暗い少年です。罪と罰の主人公ラスコーリニコフのような独善的なところもあったでしょうし,死や人間の価値について考えたり,実際に死にたいと思うこともあったりしたのも事実です。
ドストエフスキーの世界に惹かれることも納得がいきます。
さて,二人に共通することですが,背伸びして難しい文学作品を手に取ったことがまずはきっかけとなっています。さらに,ふだんから,悩み,考え,そして苦悩していたのでしょう。それが特定の文豪に出会って感動する素地になっているでしょうし,背伸びする原動力にもなったと思われます。
ひるがえって現代の子どもたちですが,苦悩して哲学し,背伸びして文学作品に手を伸ばし,さらにはその世界に引き込まれることなど,奇跡に近いような気がしています。
真っ直ぐに生きていれば,中学生が純文学,しかも海外の古典的名作にはまるようなことはあり得ないことでしょう。文学青年が絶滅危惧種であることも頷けます。
私のような生き方を肯定するわけではありませんが,文学との出会いが,知らず知らずのうちに狭き門となっていることは残念に思います。
では。