こんにちは。
先週の土曜日,ビアバーで飲みながら『蛇を踏む』を読みました。
短編なので,ビールと食べ物を片手に読みながらでも1時間弱の充実した時間でした。
90年代という混沌とした時代の芥川賞らしい作品だな,と感じました。
これから先の記事を読まれると,いわゆる「ネタバレ」になりますので,この作品をお読みになりたい方は,ご遠慮いただくのがよろしいかと思います。
話の展開を知ってしまうと,この小説はつまらないものになってしまいます。
ちょっと余談ですが,このビアバーについては,1週間前にも記事を書いています。
380円のボールペン
ここに出てくる女性が同僚の男性から嫌がらせを受けているようでした。
育ちの良さに由来するのでしょうけれど,人を決して疑ったり蔑んだりしないような,ものすごく真っ直ぐな心のきれいな方というのが存在します。そんな女性です。
事情はよくわかりませんが,男性の嫉妬か何かが原因のような気がします。真っ直ぐで純粋なところに嫉妬している。もちろん男性自身はそのことには気がついていいなでしょうが。
本題に戻ります。
『蛇を踏む』という作品ですが,この作品にはいろいろな解釈があるでしょう。
私は物語の最後で,主人公のサナダさんが蛇になってしまったと解釈しました。
もしかすると,途中でコスガさんも蛇になったのかもしれません。
読んでいる途中では,蛇が誰かを蛇の世界に誘うことで,蛇とその人間の魂が入れ替わるとか,そんな展開なのかとも考えました。しかし,これも違うように思います。ただ,入れ替わることができるのであれば,サナダさんが踏んだ蛇が本当に母親であるということも説明がつきます。
真相はまったくわからないですし,1つだけの真相を明らかにすることに価値がある作品ではないのです。
なんとも不思議な作品でした。
1つ言えることは,わからないまま,うやむやなままのほうがよいという場合が確実にあるということでしょうか。
川上弘美氏の別の作品も読んでみようと思います。
では。