志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

天才かどうか

こんにちは。

 

高校時代には成績の良かった私ですが,当時の同級生から,にしは秀才だったとか,にしはスペックが違う,などと言われることがあります。

 

しかし,実際はまったく違うと思っています。

私がどれだけ勉強に時間をかけたかどうか,そのことを抜きにして,成績だけで評価を下しているだけでしょう。

高校に入学した直後から,先生方に指示された通りに丁寧に予習・復習をしていましたし,それには膨大な時間がかかり,すぐに1日の勉強時間は4~5時間になりました。

 

入学した直後で気のゆるみもあるのでしょう。部活をがんばっている子もいました。

私と同じだけしっかりと毎日の学習をこなしていた同級生はそう多くはないように思います。1週間,1か月,2か月…と過ぎていくうちに,だんだんと少しずつどこかで手を抜くようになっていた方も多いように思います。

 

つまり,成績の違いというのは,単なる勉強量の違いでしかなかったと思っています。

しかも,高校の勉強というのは,進度が速く,学習量も膨大なため,1度ついていけなくなると,追いつくのは難しくなります。

前の単元がわからない,そのために次の単元も理解できない,そしてさらにその次も…と負の連鎖に陥ると,断ち切るのは容易ではありません。

一度差が開くと,できる子はどんどんとできるようになり,逆にできない子はどんどんとできなくなるわけですね。

 

勉強をさぼってしまった方からすると,気がついたら,同級生の中にものすごくできる子がいるぞと,はるかな学力差を感じるとともに,その同級生を天才だと感じ,驚嘆した可能性はあるのかなと思っています。

 

くり返しになりますが,最低でも同じ高校に入学したわけですから,スタート時点での学力にはほとんど差がありませんし,才能の違いも大きくはないわけで,単純に,勉強量の違いでしかないでしょう。

私は天才でも秀才でもなく,単に同級生たちよりも多くの時間を勉強にかけただけですね。高校2年生の夏休みから,本格的に大学入試を意識した勉強を開始しましたが,その夏休みには,多い日で1日15時間くらい勉強していました。受験の直前期ですら,それだけ時間をかけた同級生が,果たしてどれだけいるのでしょうか。

 

勉強というのは,それがすべてではないにせよ,「量」がものをいいます。また,高校の勉強というのは,スタートが肝心ですね。その両方がうまくいったということに過ぎないでしょう。

 

同級生に,たぶん学年で1番数学ができた子がいました。1年浪人はするものの,東京の最難関国立大に合格しました。私と同様に,高校時代には勉強を頑張ったわけですね。

その同級生と私にはある共通点がありました。

2人とも,中学時代に学習塾に通っていなかったことです。

2人とも,最低でも,とりあえず高校受験がゴールだ,という意識はまったくなかったですし,高校に入ったらがんばるぞ,という気持ちで高校生活がスタートしたことでしょう。

こうした気持ちを持っていたのは,塾に行かなかった効用ではあるでしょう。

 

ただし,塾に行かないことを推奨しているわけではありません。効用以上に負の面が大きいかもしれませんね。

しかし,もしも進学校を目指すのであれば,勉強するために行くんだぞ,入ったら勉強が第一の生活だぞ,という意識は持っておいたほうがよさそうですね。

 

では。