志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

言語生活を豊かに

こんにちは。

 

以前に,ある都立のトップ校の学校説明会に参加したときに,その高校の国語の先生がおっしゃっていた言葉です。「言語生活を豊かに」

国語ができるようになるためやるべきことは,この一言に尽きるのかもしれません。

ふだんからたくさんの言葉に触れて,獲得した語彙を増やしていき,豊富な言葉とともに生活をしていくこと,もちろん多くの活字を読み,また豊かな言葉を使って自分でも表現していくこと,それができれば入試問題としての「国語」など,簡単に解けることと思います。

 

「国語」でいうと,言語生活の豊かさの違いが,現代文だけではなく,古典分野においても如実に表れると感じています。

先日,授業で扱った文章を引用してみます。(古文を横書きにするのは気持ち悪いのですがご容赦ください。)

 

堀川院の御時,勘解由次官明宗とて,いみじき笛吹ありけり。ゆゆしき心おくれの人なり。院,笛聞こしめされむとて,召したりける時,帝の御前と思ふに,臆して,わななきて,え吹かざりけり。

 

中学生としては難しい古文なので,大量に注がついています。

言語生活が豊かではないと,たとえば,「帝」が天皇のことだとわからなかったりします。

「御前」という単語が出てきますが,「御前会議」などという言葉を知っていれば,ああ,天皇の前だったのだなと推測できるでしょう。

ほかに「召す」,「臆して」という単語も出てきていますが,常識的に意味がわかる生徒と,まったく意味がわからない,あるいは漢字すら読めないという生徒とに分かれます。

古文をさらに読み進めると,「世にたぐひなく」という表現が出てきます。これも,「類稀なる」という現代語の表現を知っていれば,意味は簡単に理解できるでしょう。

こうした,1つ1つの部分的な理解の積み重ねで,なんとなく何が書いてあるかわかったという生徒と,何を言っているのかさっぱりでしたという生徒にわかれるのでしょう。

 

この国語の力,言語生活の豊かさというのは,もちろん他教科の学習にも大きく影響するでしょう。

さらにいうと,記憶があいまいですが,この説明会のときに先生がおっしゃっていたことは,実社会に出てから「言語生活の豊かさ」が必要になるということでした。

国際社会で活躍するためには,それが不可欠であると,だから入試のために「国語」を勉強するのではなく,人生を意義あるものにするために「言語生活を豊かに」してほしいと,そう受験生にメッセージを送られていました。

 

では。