こんにちは。
生徒たちと私の年齢差もあるのでしょう。
生徒たちは,年々(世代ごとに見て)古文ができなくなっていっているように感じます。古語に関係する語彙や古文文法の片鱗は,ふだんの生活の中でも少しずつですが自然と身についていくものでしょう。それが世代を経るごとに減少していっているのを感じます。
たとえば,古文の形容詞は
「く から く かり し き かる けれ かれ」と活用します。
現代でも
「美しき」とか「愛しき」とか「~~なかれ」とか使うことがあると思います。
『美しき青きドナウ』という合唱曲もありますね。
こういう活用がすんなりとわかる子とそうでない子がいて(「わかる」といっても本文の意味が取れる程度です),わかる子は年々減っているように思います。
助動詞だと
「〇 〇 む む め」と活用するものでも,「戦わん」などと現代でも使うと思いますが,「ん(む)」が「~~しよう」という意志を示していると理解できるかどうか。
否定の「ず」は「ず ざら ず ざり ず ぬ ざる ね ざれ ざれ」と活用しますが,古文中で活用して出てきたときに否定の意味とわかるかどうか。
「見ざる言わざる聞かざる」の三猿も有名です。こういう言い回しにどれだけ触れているかどうかでしょう。
昔の歌の歌詞にも古文的な言葉はたくさん出てきます。
「うさぎ追いしかの山」という歌詞の「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。
中学では古文文法は係結び程度しか習わず,高校で習うのですが,中学生であっても判断できてほしいレベルというものがあります。
おそらくふだんの生活中で,たとえば古い歌も耳にすることが少なくなり,古文に触れる機会が減っているのでしょう。だんだんと世代を経て,古文がほとんど理解できなくなっていっているようです。
時代の変化といえばそれまでですし,善悪は不明です。
ただ,この調子だと,夏目漱石であるとか芥川龍之介であるとか,言文一致以降の明治・大正期の文学までもが「古文」になってしまって読めない方が増えていくように思います。
戦後初期の文章でも,古臭くて読みにくいという方は少なくないかもしれません。
言語生活の豊かさが社会から徐々に失われていっているようにも感じますし,一抹の寂しさはあります。
では。