こんにちは。
あるテレビ番組で,東大生が幼いころに「しりとり」をやって遊んでいたと放送されていました。
しりとりをやれば語彙力は増えるでしょう。それが,学習にも良い影響を与えた可能性はありますね。相手をするご家族の方も,手抜きをして勝たせてあげるようなことはせずに,たとえば「る」で終わる言葉ばかりを返すなどしていたようです。お子様も勝つためにいろいろと考えて言葉を覚えていくでしょう。
別の東大生の方は,ものすごく本を読んでいたそうです。これも当然ですが語彙力が増えますね。読書に関しては他にも多大な恩恵をもたらしてくれることでしょう。
人は頭の中で声を出して物事を考えます。したがって,語彙力が豊富だと思考できる範囲も広がることになります。
新しいことを,まったく知らないことを教わったとして,その世界を理解し得るだけの言葉をもっているかどうかが,そのことを理解できるかどうかのカギになるでしょう。
たとえば,小学3年生になると,算数もだんだんと抽象的な概念を扱うようになってきます。「分数」や「小数」を習ったとします。「1」や「2」という数字は現実にもあるものです。「本が1冊,2冊」,「鳥が1羽,2羽」,「友達が1人,2人」といった具合ですね。ところが,「本が2分の1冊」とか「友達が0.7人」とか,そうした状態は現実にはあり得ません。扱う「数」が抽象的になっているのです。
語彙力が不足している場合には,こうした抽象概念の獲得ができておらず,小数や分数でつまずく可能性が高いです。
このように,何かを理解するためにはそれを理解するための概念を獲得していることや,その概念を獲得し得るだけの語彙力を獲得しているかどうかが重要なファクターでしょう。
算数に限らず,どの科目でもこれは言えることです。したがって,もっとも大切な科目は国語になるのです。
番組では,どのように東大生が育ってきたのか,他にもいくつか紹介されていました。このブログでも書いているようなこと,他の方もおっしゃっているようなことばかりで,何も特別なことはない当たり前のことばかりだと感じました。
興味をもったことを伸び伸びとやらせる,実体験を大切にするということもそうです。当然ですが,それは勉強,勉強と机の上の勉強を強制するような態度とは真逆ですね。
全世界のさまざまな事象のほんの一部を切り取ったものが学校の勉強でしょう。とくに幼いころは,遊ぶだけでも世界の事象について知らず知らずに学んだことになっており,そうした経験がないと,いくら机の上の勉強をしても,実体験から得られる学びには到底及ばないのかもしれません。
では。