志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

リベラルアーツ

こんにちは。

阿部謹也先生の本をいろいろと読んでいた時期があります。
若輩浅学の身であった若いころ,阿部謹也先生について,ある国立大学の学長というエラそうな肩書だけれども,名前を聞いたこともないし,どうせ大したことないのだろうなと(大変に失礼で,今では申し訳なく思っています),そんな無知で生意気な考え方から,阿部先生の著書を一冊読んでみました。
それ以来,多くの著作を読ませていただきました。
最初に読んだのが,『ハーメルンの笛吹き男』でした。一言でいうと,「世の中にはこんなにも頭の良い人がいるんだ!」と驚嘆したのを覚えています。非常に面白かったことも事実です。

何という本であったのか覚えていませんし,お金のない時代でしたので図書館で借りて読んだ本も多く,また手放した本も多いので,少し正確さを欠いているとは思いますが,約20年前に阿部先生はこのようなことを書かれていました。
「東大をはじめとする一流大学を出た政治家や企業家,官僚などが,常識では考えられない不正や犯罪行為を行うのは,日本には本当の意味での教養が根付いていないからだ。」

昨今でも,一流大学の学生が何件もの強姦をしたとか,東大を出た某知事が女性に金銭を渡して…とか,秘書さんにハゲなどの暴言を吐いた東大卒の政治家がいらしたりとか,…常識で考えれば絶対におかしいことを,学歴でいえば超一流の方々が平気でやってしまって非難されています。しかも,1つや2つではなく,次々と出てきますね。
当時もそうしたことがいくつか起きている状況でした。

この「本当の意味での教養」ですが,現代の言葉に直すと「リベラルアーツ」というのがよく当てはまると思います。
最近,AIの進歩によって次のようなことがよく言われるようになってきています。
AIの進歩によって,人々には専門性よりもAIを使いこなすための汎用性が求められるようになるかもしれないとか,AIは答えを示すだけで判断の理由を示してはくれないので,人々には理由付けを行う能力が求められるとか,AIを人間にとって便利な社会になるように使いこなしていくには,使う人間側に幅広い知識とそれにもとづいた良識的な判断力が求められるとか,そんなところでしょうか。
私のほかにも様々な方が指摘されている通り,つまり一言でいうと,これからは「リベラルアーツ」が求められる時代になることと思います。

生徒たちには,すごく抽象的ではあるのですが,将来は「リベラルアーツ」を身につけた人物になるとよいと話してもいます。
AIが飛躍的に進歩する以前の,今から20年も前に「リベラルアーツ」(阿部先生はこの言葉を使用していませんが)の重要性を見抜いていた阿部謹也先生の慧眼にはただただ驚きと敬意を表するのみです。

20年も前にこのようなことをおっしゃる方がいらしたということは,リベラルアーツの必要性というのは普遍性もあるのでしょう。
すごく曖昧な価値観ではあるのですが,リベラルアーツの獲得を念頭に置いて勉強すると,将来社会で活躍できる人物になれるかもしれません。
東京都立の学校(高校や都立中高一貫校)などが,必ずしも大学進学を最優先せず,幅広い教養の獲得を目指すとして大学入試に関係のないこともカリキュラムに取り入れている場合があります。小石川中等教育学校や日比谷高校などが代表例でしょうか。
それも,伝統というほかに,時代に対応した取り組みであると一面もあるのだろうと思います。

では。