こんにちは。
今日は仕事の前に運転免許の更新に行ってきました。
いわゆるゴールド免許なのですぐに終わります。「一般」の2時間講習を受けた経験はないのですが,2時間もどんな講義を聴いているのか気にはなります。
前回,5年前の更新のときには,青信号を横断中に左折してきた大型トラックの後輪に巻き込まれて死亡した小さな女の子についてのビデオを見せられました。遺族であるご両親が涙ながらに娘を失った無念ややるせない気持ちをお話されていて,見ていて辛く,悲しい気持ちにもなりました。
毎回そのようなビデオを見せられるので,免許の更新はありま好きではありません。
今日は飲酒運転で死亡事故を起こし,懲役15年の実刑となった男性の話でした。会社も解雇され,離婚することにもなったそうです。
30分の講習を聴いている間,職業病みたいなものですが,ここは大切だな,テストがあるとしたらここは出るだろうな,このグラフは要注意だな,…などと考えていました。
「授業」を受ける立場になったのも久しぶりなのですが,講義を聴くという作業はかなりのマルチタスクであることに改めて気づかされました。
指示された部分のテキスト,もしくは黒板(今回だとスクリーンのスライド)に目を通す必要があります。
それをしながら先生の話にも耳を傾けます。
さらに必要なことをメモする必要がありますし,授業であれば黒板を写すことになるでしょう。
私の場合,加えてもう一つのことをしているのに気がつきました。
見るようにと指示されていないテキストの他の箇所を何気なく読んでいるのです。「授業」には間がありますし,ずっとテキストの当該箇所に目を落としながら聴きつづける必要がないこともあります。そんなときに別の個所をさらさらっと読んでいました。おそらく,これは昔からの習慣でしょう。「授業」中に他の人よりも多くの情報を受け取ったことになります。
最初に書いたどこが重要かを考えるという作業も同時並行で進んでいます。
子どもたちを見ていると,授業を聴くのが上手な子とそうではない子がいます。
要領の良さ,器用さ,本質的な頭の良さみたいなものの違いだとは思うのですが,同じ授業を聴いていても大きく差はつきます。
授業を聴くのが下手かなと感じた方も,効率よく聴けるように改善の努力はできますね。このようなことは先生は教えてくださらないでしょう。自分で考えていろいろと試したり,他の人の良いところをマネしたりと,少しずつ身につけていくものだと思います。
では。