志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

目的と手段を区別して

こんにちは。

 

昨日のつづきです。

授業ではいろいろな作業が求められています。では,何を優先すべきでしょうか。

 

求められる内容として

・ノートを取る

・先生の話を聴く

・考えて理解する

などがありますが,もちろん勉強の目的自体が理解することですので,3番目がもっとも大切であることは言うまでもありませんね。

極端に言えば,ノートを取らなくても,先生の話を聴かなくても,さらには授業に出なくても,理解さえできれば,そして身につくのならば十分だということになります。

 

以前に「東大生のノートは美しい」というようなタイトルの本が話題になったことがあります。これは一面では真理だと思います。

勉強が得意な方というのは,きれいにわかりやすくノートを取っている方と,逆にほとんどノートを取らない方と,両極端に分かれているような印象があります。もちろん,前者のほうが圧倒的に多数派です。

ノートを取ることが勉強の手助けとなり,理解に大きく貢献しているであれば,それは正しい授業の聴き方でしょう。

ところが,あくまで理解することが目的であるのに,ノートを取ることだけに没頭したり,取っただけで満足して見返さなかったり,そういう方が苦手な方の中には少なくないように感じています。理解するという目的を見失っているからこのような事態になるのでしょう。

 

私はノートを取らない方向に進んでいきました。国語は完全にノートを取るのを止めていましたし,高校時代には数学のノートも必要最小限しか取らなくなりました。

大学の講義では,メモ書き程度にしかノートを書いていませんでした。

「市場均衡 クモの巣理論 労働力市場 …」というようにキーワードだけメモしていました。あとでメモを見ればこんなことだったなあと思い出せましたし,キーワードを頼りにテキストを読めば必要なことは書いてあります。

ノートを取るよりも考えながら聴いているほうが自分にとっては理解が容易だったのです。

 

理解するためにはどのように授業を利用するのが効率的なのか,あくまで理解することが目標であることを念頭に置いたうえで,授業の聴き方を工夫なさると少しずつ成績は上がっていくでしょう。

 

では。