こんにちは。
たまに教室の外に出ていることがあります。空を眺めたり,生徒さんを出迎えたり,換気だったり,…
昨日も教室の前に立っていたのですが,道行く方のこんな声が耳に入ってきました。
「ピッピいないよ」
一瞬で状況は察知できました。
教室の前にはお花を飾ってありました。そこにお祭りのくじ引きのハズレ,鳥のお人形も飾ってありました。
写真は夏に撮ったものです。ひまわりも枯れ,その後に二十日大根を植えていたのですが,それも一昨日収穫しました。昨日は教室に来てすぐに,鉢も人形も片付けたのでした。
このお人形を眺めていく小さなお子さまもいらっしゃるなあと,気がついていました。保育園の子どもたちが集団で前を通っていきますし,親子連れの方も少なくありません。昨日の親子もそんな方なのでしょう。
母親の「いないよ」という言い方に,お子さまの悲しみを感じました。
たぶん教室の前を通るのは,その日の2回目で,最初に通ったときに,鳥がいなくなったことを親子は知ったのでしょう。しかし,再び通るときにも,お子さまは鳥を探したのでしょう。それでお母さまは「もういなくなっちゃったんだよ」とわかってほしかった。しかし,お子さまは状況を飲みこめていない。
それで「ピッピいないよ」と。
「鳥のお人形ですか?」ととっさに声をかけ,「いらないので差し上げます。お祭りのくじのハズレなんです」とお母さまに事情を説明し,お子さまにプレゼントしたのでした。
お子さまに手渡すときに(大切にしてね)と声をかけようとして,他愛もないものだし,負担に感じるといけないなあと「かわいがってね」と言葉を選び直しました。
にこっと笑顔で喜んでくれたので,こちらの心も温まりますね。
こうした小さな優しさ,小さな気遣いで,社会は良い方向へと動いていきますね。親切をした方こそ心が満たされるものです。お互いに得をしています。しかし,こうしたものが現代社会には欠けているとも感じています。
では。