志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

キリンを冷蔵庫に入れる

こんにちは。

「キリンを冷蔵庫に入れるにはどうしたらいいでしょうか?」
「とびらを開けてキリンを入れてとびらを閉めます。」

以前にいた職場でのことです。
やりたいこと,できたらいいなということはあるのですが,担当者たちの時間と技術が不足しており,なかなか実現は難しいかも知れないね,という事案がありました。

それに関して,「勉強して技術を習得すれば,技術面の課題はクリアできますね。」と私が言ったのに対して,ある同僚が言った言葉が冒頭のものです。
口で言うのは簡単だけれど,現実的には無理だろうという反論を,皮肉をこめてこのようにたとえたのです。
ただでさえ忙しいのに,勉強する時間などあるはずがない。キリンを冷蔵庫に入れてとびらを閉めると,口では言えても絶対にできないのと同じことだ,というわけですね。

実際に,やってみたら本当に無理かもしれません。
そうやって最初からあきらめるのも,処世術として賢い方法かもしれませんし,損得勘定でいえば得のほうが大きいかもしれません。成功しても給料が大きく上がることはないですし,上がるどころかほとんど給料(=お金)は変わらずに,お金の面ではまったく得しない可能性が高いでしょう。

一方で,向上心をもって取り組んでみる,というのは実現できたら素晴らしいですし,挑戦することはワクワクしますし,失敗したとしても何かしら得るものがあるかもしれません。

以前に,「成果の限界」は「行動の限界」に起因し,
「行動の限界」は「思考の限界」に起因する,ということを書いたと思いますが,この場合にあきらめるのは,できないと最初から決めつけているわけで,「思考の限界」が「成果の限界」を生じさせていますね。
ただ,あきらめる生き方を否定するわけではありません。仕事にやる気を出さないというのも,生き方としては「あり」だと思います。ほかに打ち込める趣味などがあることでしょうし,それはそれですばらしいとも思います。

言いたいのは勉強のことです。
「〇〇は無理だ」と,勉強についてもあきらめることはないでしょうか。

大きなものをあきらめた例でいうと,「もう数学は無理だから,大学は私立文系に絞ろう。」とか,「高校受験は3科目受験できる私立高校に絞ろう。」と理社を捨ててしまうとか,もっというと,勉強それ自体をあきらめた方もいらっしゃるかもしれません。
勉強についても同様に,あきらめる生き方を否定はしません。

ただ,勉強ができる方というのは,あきらめずに努力を積み重ねてきたということは言えるでしょう。
もっと小さな「〇〇は無理だ」という部分を考えてみます。
国語で文法がまったくわからなかったとき,「どうせ入試に出ても1点か2点分だから捨てても構わないだろう。」と文法をあきらめるとか,数学の因数分解が苦手なとき「先生からは繰り返して何回も解きなさいと言われたけれど,面倒だし一応の理解はできているから,スラスラとは解けないけれど,妥協しておこう。」とか,「理科の凸レンズがよくわからないし,先生もここは難しくてできない生徒が多いと言っていたから,自分もできないままにしておいて,入試で出たらあきらめよう」とか…

こういうこと,つまりは勉強での小さなつまずきというのは,誰にでもあるかと思います。東大に合格したような方でも,ほぼ必ず勉強でつまずいた経験はあるでしょう。それを,いちいち努力して全部できるようにしてきたか,いくつかについては理解できないままあきらめてきたか,それらの1つ1つの積み重ねが大きな学力の差になるということは容易に理解できると思います。

以前に,東大生講師専門のような個別塾の教室長をしていたことがあります。東大生には,基本的には苦手科目はありませんでした。相対的に何かの科目が苦手で,東大生としてはものすごくできない偏差値60台前半ということはありましたが,世間一般から考えると偏差値60以上というのはかなり優秀なわけです。
これも,つまずいたところを放っておかずに,1つずつ努力してきたからこそでしょう。

だれでも,壁にぶつかってつらい時期はあります。
毎回毎回そこで頑張れるかどうかが,勉強が得意になるか苦手になるかの1つの分水嶺でしょう。
もしも,勉強をする人生を歩もうとするのであれば,つらいときこそ向上心をもって前向きに取り組んでみてください。

では。