志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

わかりやすいことは必ずしもいいことではない

こんにちは。

冬期講習も終わりに近づいています。
少しずつまた書いていくと思います。

手前味噌ですが,「授業がとてもわかりやすい」などとお褒めの言葉を頂戴することがあります。
しかし,わかりやすい授業というのが,自分の長所であると同時に,最大の弱点ではないかとも思っています。

この仕事に転職してから10年が経ちましたが,どうやったらわかりやすく伝わり,理解してもらえるか,どのように説明するのがよいのか,ときには生徒のレベルにあわせて最適な説明方法はどれか,などとものすごくわかりやすい説明方法を工夫してきたつもりです。
ときには,仲間の先生方の授業をのぞいてみたり,先輩の先生にアドバイスを求めたり,つまりは「わかりやすさ」を追求してきました。
わかりやすくするためには,自分自身もより深く広く知っている必要があり,勉強を続けてもいます。

しかし,次のようなことが増えたのも事実です。
ものすごくわかりにくいもの,しくみが複雑なものを生徒に対して説明します。
授業をしたときには,よくわかりました,と理解してもらえるものの,後日,何らかのテストであるとか問題演習であるとか,実際に問題を解いてみると,生徒がその問題を解けません。
あとで自分で確認してみたけれど,よくわかりませんでした,と質問に来るケースもあります。

おそらく,すごくわかりやすい説明だったために,
授業中は,ほとんど頭を使わずにすんなりと理解できたということでしょう。
正確には,理解したつもりになっただけだったわけですね。あとでわからくなったわけですから。
本当はわかっていなかったことに気がつけばよいですが,簡単だ,よくわかると勘違いしたままになり,復習をしないケースも出てくるでしょう。

結局は,一生懸命に自分の頭を使って考えて,それで理解したことしか身につかないということなのでしょう。わかりやすい授業やわかりやすい参考書がよくないとまではいいませんが,それなりには弊害もあるということはわかっておいたほうがいいでしょう。

授業や参考書がわかりやすかったとしても,そのあとで復習するなり演習を積むなり自分の頭を使って作業をしないと意味がないということです。

わかりやすい授業を聴く場合と,自分で教科書などを使って勉強する場合を比べてみましょう。
後者の場合には,わかりにくくていろいろと考えたり,別の参考書を使って調べてみたり,人に聞いてみたりと,理解するまでは苦労するはずです。ただ,そこで理解したことは身についていますし忘れないでしょう。
そのあとで演習問題を解いたとしても,理解度が高かったことが確認できるとともに,さらに理解度も深まるでしょう。
対して,わかりやすい授業を聴いた場合ですが,演習の段階で,いろいろと苦労をするはずです。それでも最初の導入の部分が楽ですので,ずいぶんと勉強の効率はあがると思いますが。しかし,あとで演習を積むなりして,結局は,自分の頭を使って考えて苦労する部分が必要となってくるわけです。

今の子どもたちは,「わかりやすさ」,「便利さ」,すぐに結果を出してほしいという「即効性」などを求める傾向がすごく強いように感じます。
ただ,「学問に王道なし」で,粘り強くこつこつと修練を重ねること以外には方法がなく,結果が出るまでには一定の時間が必要というのが本当のところです。
安易に簡単な方法に流されると,落とし穴にはまってしまうかもしれません。

では。