志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

ラッキーと考えられるかどうか

こんにちは。

昨日は,将棋のA級順位戦の最終局がありました。
簡単にだけ書くと,将棋の「名人」というタイトルへの挑戦者を決めるための戦いが順位戦で,1年をかけて10局の対局をします。クラスが「A級→B級1組→B級2組→C級1組→C級2組」と5つに分かれており,その最上位で10名のトップ棋士が在籍するのがA級で,A級でもっともよい成績だった方が名人に挑戦します。
ちなみに,藤井総太七段は現在C級1組です。どれだけ勝っても1年に1つずつしかクラスが上がらないのでいきなりA級にはなれないのです。

この順位戦ですが,持ち時間がお互いに6時間あります。将棋はたくさん考えたほうが有利なので,お互いに持ち時間を決めて行い,それを使い切ると「秒読み」といって一手を1分以内に指しつづけなければならなくなります。(厳密には少しだけ違いますが,だいたいはこんな感じです。)

朝から対局が開始されますが,お互いに持ち時間が6時間あり,さらに途中に昼食休憩なんかもあるので,対局が終わるのは日付が変わるころになることが多いです。「千日手」といった引き分けで指し直しとなって,明け方近くまで対局がつづくようなことも稀にあります。

さて,このA級順位戦の最終局ですが,毎年,将棋連盟で解説会が開かれます。若いころ,真面目に働いていなかった時期があり,私は将棋連盟でバイトをしていたのですが,この大盤解説会の日も,いつも受付スタッフとして勤務しておりました。そんなときにあったことです。

プロの対局には記録係がつきます。通常は,奨励会に在籍するプロを目指す方が記録係を務めます。プロの指し手を記録して持ち時間を管理し,秒読みになれば,「50秒…55秒,6,7,8,…」と秒を読みます。プロ棋士の先生が1時間以上考えることも少なくないので,途中で眠たくなったり,トイレに行きたくても我慢する必要があったり,さらに音を立ててはいけないなど,結構大変な仕事のようです。
記録係にもいくらかのお給料が出ます。詳しいことはわからないのですが,対局が長くなっても,すぐに終わったとしても,そのお給料の額は変わらないみたいです。
なぜ,奨励会員が記録を務めるかというと,プロの対局を間近で見て勉強をするという意味も大きいのです。
仕事と勉強と両方の意味があるわけですね。
ただ,もちろん,早く対局が終わってくれたほうが嬉しいでしょう。

ある年のA級順位戦最終局,どなたの対局かは覚えていませんが,1局が大熱戦となって25時くらいの終局となりました。終局後も30分くらいは解説会がつづき,お客様たちがはけ,それからスタッフは後片付けをします。片づけが終わったのが27時近かったと思います。将棋連盟の建物からもほとんど人がいなくなり,人が最後まで残っていたのが大盤解説会の会場くらいだったのでしょう。

そこにぐったりとした奨励会の若者が入ってきました。「いやあ,疲れましたよ。」と。
この若者は,その最後まで残っていた対局の記録係を務めた三段でした。対局が終わった後もプロ棋士の先生は感想戦というものを行います。2人で今の将棋の反省をするわけです。記録係はそれも見ます。さらにその後,盤と駒,脇息などを片付け,自分が書いた棋譜,対局の指し手の記録ですね,を清書して仕事は終わりです。彼もまた27時近くまで働いていたわけです。対局が長くなったので,愚痴の一つもこぼしたくなったのでしょう。気持ちはよくわかります。

そこに,たまたま残っていたプロの先生がいらして,こう彼に声をかけたのでした。
「ラッキーだったね。」
ぎょっとした顔をする三段を前に,さらにこうつづけました。
「だってこんないい将棋を間近で見られたんだよ。」

純粋によかったねと思う気持ち,勉強なのだしプロを目指しているのだからそんな態度ではいけないという皮肉,プロを目指す後輩への愛情…など,ものすごく複雑な気持ちが込められた言葉だと感じました。
三段の若者は,後ろ向きな言葉を吐いた自分を悔いるような表情を浮かべてました。

翌年のA級順位戦最終局,またまた1局が大熱戦となり,なかなか終わりませんでした。記録係も去年のあの三段でした。
私は昨年と同じように27時過ぎまで片づけを行ったのですが,もちろんその三段が愚痴をこぼしにくることはありませんでした。

その後,この三段はその翌年に晴れてプロ棋士となりました。プロになってからは,連勝賞の獲得や,獲得はならなかったもののタイトル戦の舞台にも登場するなどの活躍を見せております。

学校でも塾でも,放課後とか授業後に先生が生徒さんに残るように声をかけて勉強を見てくださる機会があるかと思います。自分だけ勉強時間が長くなります。
このようなとき,多くの方は居残り「させられた」と後ろ向きな感情をいだくと思います。しかし,考え方によっては,授業時間外に勉強を見てもらえるのですから,ものすごくラッキーなことですね。本来の目的はしっかり勉強してできるようになること,さらにその先に〇〇高校へと進学して,将来は…とつづくのですが,当面は勉強ができるようになるのが目的ですね。ですから,補習をしてくださるなどというのは本当にラッキーなのです。

もしも本当に上を目指したいのであれば,このような幸運をそう考えられなくなるのはどこかがおかしくなっている可能性はありますね。常に目標を忘れず,前向きに努力する姿勢を保ちつづければ,幸運な機会を逃さずに生かして,高みを目指していけるのだろうなと思います。また,ときには惰性に陥ってしまう自分を戒めて,初心を取り戻す必要があるのでしょう。

では。