こんにちは。
青少年期には死についてあれこれと考えるような暗い少年でした。
ドストエフスキーなどに傾倒したのもそのためでしょう。
しかし,大人になってからは「哲学」するようなことはなくなりました。おそらくはた目には明るく楽しく生きているように見えるでしょう。
大人になってから死を強く意識したのが2011年の東日本大震災のときです。
人間,何が起こるかわからないな,いつ死んでもおかしくないなと考え,それが当時勤めていたブラック企業を退職する一因になりました。
その選択は極めて正しく人生を間違いなく豊かにしてくれたと断言できます。
あれからちょうど10年,最近のコロナの流行によって,いつ死ぬかわからないなあという意識が強くなっています。
やりたいことはやっておいたほうがいいな,くらいには考えています。もちろん,旅行だとか飲食だとかは無理で,できることに制限はあるのですが。
誰かに手紙を書いておこうとか,悔いのないように日々の仕事をがんばろうとか,この本は読んでおこう,といった他愛もないことばかりで,思いつめているわけではないのでご心配なく。
ただし,死というのであれば,塾の先生になってからは意識の片隅に必ず次のことを置きながら仕事をしています。
「何かあったときには絶対に生徒を守らなければならない。場合によっては生徒たちのために自分が死んでもかまわない。」
たとえば教室に不審者が入ってくるかもしれません。
生徒たちを逃がし,守るために私が戦うしかないでしょう。
現実にはそんなことが起きたことはもちろんありません。ですが,必要な心構えではあると思っています。
一度だけ,授業中に火災報知器が鳴ったことがありました。自分だけは動揺してはいけない,逃げるのは自分が最後,取り残された生徒がいたら助けに行く,くらいのことは瞬時に考えました。
できる子たちがそろっていたこともあり,生徒たちは落ち着き払っていました。
結局は火災報知器の誤作動だったのですが,生徒たちとは対照的にひどく慌てた先生もいらっしゃいました。生徒たちに笑われていたことは言うまでもありません。
心構えの部分での備えは大切ですね。
では。