志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

読書のレベル

こんにちは。

 

読書にも「レベル」というものが存在していると感じます。ゲームの世界と同じです。ある一定以上のレベルがないと,途中の中ボスを倒せなかったり,ゲーム自体をクリアできなかったりします。

 

中学1年生のとき,夏休みの課題で読書感想文を書く必要があり,推薦図書としては一般的だった夏目漱石の『坊っちゃん』を読みました。

それでどうだったかというと,とてつもなくつまらない作品を選んでしまったと後悔しながら,それでも課題なので仕方なく苦痛に思いながら最後まで読みました。どこがおもしろいのかまったくわかりませんでしたし,漱石が描きたかったことなどわかりようがありませんし,何でこんなものが推薦されるのかと憤りも感じました。

 

それでも背伸びしてその後も漱石の作品はいくつか読んだでしょうか。

深く感銘を受けることはなかったことは言うまでもありません。

 

大学時代に読んだある本で漱石について触れられていました。

 

日本では個人が尊重されずに集団の和が優先されるのに対し,欧米では独立した個人が尊重されている。それが日本の「世間」と欧米の「社会」との違いである。留学を経験した漱石はそのことに気づき,「世間」をわずらわしいと感じるようになった。面倒な「世間」づきあいを忌避する感情が漱石の作品に通底している。

 

そんなことが書かれていました。それを読んだ私は,「世間のわずらわしさ」など中学生にはわかるはずがありませんし,当時の私が『坊っちゃん』をひどくつまらない作品だと感じたのも無理はないなあと納得したのでした。

大学生といえば,世間づきあいも必要になる頃でもあり,やっとその頃になって,漱石の作品が面白いと感じるようになってきました。

 

後年,こうした仕事に就いてみると,優等生たちの中には漱石が面白いと話す方が少なからずいらっしゃいました。まだ中学生です。例外なく勉強ができる子たちでした。

そこでわかったのは,今までに読んできた作品の量や人生経験,悩み考えてきた蓄積など,人間としての厚みの違いが,漱石を楽しいと感じるかどうかの差なのだということです。

一言で言えば「レベル」です。読書を中心に人間的に成長(レベルアップ)していれば,難しい作品でも読みこなせますし,それがないと,ゲームで敵を倒せないように,作品の魅力もわからないものなのでしょう。

中学生の自分は,単にレベルが低かったのでしょうね。

 

ときに背伸びして難しい作品に挑戦することも必要ですが,とくに他の方に本を薦める場合には,身の丈にあった楽しめる作品を選んであげることが大切でしょう。

せっかくの名作でも,レベルが追い付いていないとまったく楽しめないものですので。

課題図書の一覧でも,作品ごとにレベルわけされていると便利だとも感じますね。

 

では。