こんにちは。
サラリーマン時代,何かの提案を社内で通そうと思ったとき,それを通らせるための下地づくりとして,簡単に根回しのようなことを行っていました。
たとえば,会議での話し合いになる場合には,この人が賛成すれば,場はだいたい賛成の雰囲気に染まるだろうなという人に,事前に相談していました。
私が言っただけではなかなか決まらないことでも,別の方がおっしゃれば簡単に決まることも少なくありません。
提案の内容よりも,発言者が誰なのか,そちらのほうが重要だということです。
インターネットが発達した現代,情報過多にもなっているでしょうし,またその情報も玉石混交でしょう。もしかすると「玉石石石混交」くらいなのかもしれません。
勉強をするにしても,たくさんの映像授業や学習に関する記事をインターネット上に発見することができます。このブログにしても,ネット上の情報の一つですし,それは読者のみなさまが判断なさるとことですが,「石」であるかもしれません。
また,有料の映像授業などで,有名な先生の講義を簡単に受けることもできますし,住んでいる地域によっては,カリスマ講師の生の授業を受けることも可能でしょう。
ただ,いくつかの「有名」なのもの,「もてはやされている」ものを見てみたことがありますが,別に大したことは言っていないのに,パフォーマンスが派手でウケているだけだと感じるものもあります。
情報溢れる現代社会のメリットとして,誰もが簡単に有益な情報を手に入れやすいことが挙げられるでしょう。受験テクニックについても,王道のものは本当に広く知られるようになりました。
また,学問に王道なしで,勉強は地道に一つひとつこなしていくしかないわけで,よい勉強方法などについても,異口同音に同じようなやり方が語られています。
みんなが知り得る普遍的な情報を,まさに「誰が言うのか」が問題になっていて,受け手の受験生たちの中には,情報の価値よりも発信者の価値に重きを置いている方も少なくないように感じます。
ある意味ではネームバリューに騙されているとも言えるかもしれません。その先生が本当に実力があるのなから心配ないのですが。
気がついたら,実はおかしな教材で勉強をしていて,わかったつもりになっていただけで,まったく学力が伸びていなかった,などということにならないように,注意は必要でしょう。
やはり体面の授業や,優良な参考書で自学することのほうが優れているとも思います。
では。