こんにちは。
今日は少しだけ痛い話から。
昨夜,帰宅してからのこと,簡単にお料理をして晩御飯を済ませようとしました。帰宅するのはいつも10時を過ぎます。お腹も空いていますし,急いで作りたい気持ちもあります。ちゃちゃっと調理してしまおうとしていたところ,包丁で親指を切ってしまいました。
長ネギを刻みました。包丁に切った長ネギがくっついているので,指で包丁の側面をなぞるように長ネギを払い落しました。そのとき,なぜか自分の親指がちょうど包丁の刃にかかっており,手が動くにしたがって,すーっと親指の肉が切れていくのがわかりました。
こうしたとき,その場面がスローモーションのように感じられます。
ほんの一瞬の出来事なのですが,
「あら,何か知らないけど親指が刃にかかっている。まずいぞ。」
「すーっと手が動いていくよ。あっ,切れる切れる。」
「ゆっくり包丁の刃が肉に食い込んでいくなあ。」
「あーっ,やってしまった。」
と,ものすごく冷静に状況を俯瞰していました。1秒足らずの出来事が,10秒近くの長い時間に感じられました。
時間の流れがゆっくり感じられるのは,どうしてなのでしょうかね。不思議なものです。(幸い,軽く切っただけですので,指の怪我は問題ありません。)
昔,ブログに書いたことがありますが,雨の日に手を滑らせて,はしごから落ちそうになったことがあります。そのときも「ああ,死ぬんだなあ。まだ大学生なのになあ。」などと,とてもゆっくりと時間が流れ,ほんの一瞬の間にものすごくたくさんのことを考えました。こちらは,1分近くあったのではないかと思えるほどの「長い長い一瞬」の出来事でした。
ものの本によると,脳で処理している情報の量が多ければ多いほど,人間は時間の流れを遅く感じ,処理量が少ないと時間の流れを速く感じるのだそうです。
楽しんでいるときには対象に没頭していて,余計なことは一切考えないですね。情報の処理量が少ないことになります。
逆に退屈な時間だと,対象のこと以外にも,早く終わらないかなあ,お腹が空いたなあ,終わったら何しようか,スマホ見たいなあ,…などと余計なことをたくさん考えているでしょう。
ピンチのときには脳が覚醒するのかもしれません。それで,一気にいろいろなことを同時に考えられるのでしょう。それで,ものすごくゆっくり時間が流れている,いわばスローモーションのように感じるのかもしれませんね。
死ぬなんていうのは大ピンチです。死の間際に人生が走馬灯のように思い出されるのも,同じ理屈でしょう。
では。