こんにちは。
たまに学生たちの勉強時間を,社会人の労働時間に置き換えて考える論理を目にします。
週に5日学校があるとして,ホームルームや掃除なども含めると7時間勤務となる。さらに大学受験生であれば,自宅でも5時間の勉強をしているが,これは「残業」と一緒。土日も10時間くらい勉強するだろうが,これは「休日出勤」と一緒。
定められた週の労働時間を40時間とすると,大学受験生は週に80時間の勉強をしており,毎週40時間,月に換算すると160時間の「時間外労働」を強いられていることになる。これは悠に過労死ラインを超えている。
ある意味では正しいでしょう。学生にも「有給」があっていいのかもしれません。義務教育ならなおさらで,必ず全員が受けさせられるのですから,勉強が嫌いな方にとっては,長時間の勉強には上記のような無理があるでしょう。
一方で,大学受験期には1日10時間どころか,15時間くらい勉強していた私からすると,そもそも勉強を労働にたとえることがおかしいと感じます。
新しいゲームを買って,2日くらい寝ずにプレーしてクリアしたとか,徹夜で将棋を指していて,気が付いたら朝になっていたとか,寝る間も惜しんで小説に没頭したとか,ただ何もせず,丸一日テレビをぼーっと見ていたとか,休みの日にレンタルビデオを借りてきて,ドラマ12話分を一気に見てしまったとか,仕事以外のこと,つまりは楽しいこと,時間つぶし暇つぶしのようなことに対して,かなりの長時間を費やすことはよくあることでしょう。
こちらはほとんどの場合は問題になりませんし,ゲームのやり過ぎで過労死するぞなどという人はだれもいないわけです。
勉強をやりたい方が,長時間おやりになっても何も問題がないわけですし,労働になぞらえるのは,勉強をしたくない方,そうした人生を選択しない方の言い分だと感じます。
今年の春から,高校数学を教えるために,コツコツと問題集を解いています。今は三角比に取り組んでいます。解いていて感じることですが,やはり楽しいのです。
楽しいから勉強する,趣味と同じで長時間の勉強も苦にならない,だから成績も上がるわけです。
難関の国立大に合格するなどの高いレベルに達するためには,やはりそうした要素は必要でしょう。
勉強に限らず,スポーツでも芸事でも同じだと思います。
では。