こんにちは。
日本だと卑弥呼の時代,3世紀の中国には魏・呉・蜀の三国が鼎立していました。三国時代です。のちに『三国志演義』という小説になり,日本でも小説,映画,マンガなどの様々な作品に生まれ変わって楽しまれています。
小学6年生で歴史を習ったわけですが,6年生のときの先生は歴史がご専門で,かなり詳しく,ときに調べ学習もしながら,歴史の勉強は進んでいきました。
中国の三国時代を知った6年生の私は,果たしてこの時代を統一した国はどこなのだろうかと,調べてみたことがあります。小学校の図書室でいろいろな本を探してみて,それで「答」を導き出そうとしました。
それでどうだったかというと,蜀が滅んだことはわかりました。が,どこが三国時代を統一したのかはっきりと書いてある本は見つかりませんでした。
それからもいろいろと調べてみて,どうやら魏も滅んだらしいこともわかりました。3つの中では呉が最後まで残っているのですが,統一したのかどうかはわらず,結局「答」にはたどり着けませんでした。
現代であれば,ウィキペディアかなんかに「三国時代」と入れて検索すれば,「晋が統一した」と一瞬にしてわかるでしょう。便利な世の中になったものです。
さて,ここで,小学校の小さな図書室とインターネットとでは,どちらが優れているか考えてみてください。
「答」を出すだけなら,当然ですがインターネットの圧勝でしょう。しかし,図書室のほうが「勉強」においては圧倒的に優れていると感じます。
6年生の私も,調べる過程でさまざまなことを知りました。おそらく,竹林の七賢について知ったのもこのときで,それから憧れを抱くようになります。公孫淵なんかも知ったと思います。
「答」はわからなくても,苦労したことによって多くを得て,それが血肉となっていったことでしょう。
一方でインターネットであれば,ほとんど何も得られないかもしれませんね。
興味を持ったことを調べてみる,知りたいことを自ら獲得しにいく,これが本来の「勉強」であり,とくに学齢の低いうちはどんどん行ってほしい「勉強」なのですが,せっかくなので図書館で本にあたって調べてみてほしいですね。そうした経験が,将来の学力を大きく伸ばすでしょう。
しはしば,わかりやすいことにもデメリットはあると書いておりますが,これもその一例でしょう。どんなことでも,労力をかけなければ,血肉となっていかないわけです。
では。