こんにちは。
子どもたちの手本に,という話題のつづきです。
以前に「受験はチーム戦」という記事を書きました。
このクラスでやったことです。
6年生でクラスができて,方針としてははじめからこのように行っていきました。
子どもたちの手本になろう,と書いてきましたが,逆のことをやりました。
自分が悪い手本になろうとしたのです。
中高一貫校受検のクラスですので,
社会のマナーについて考えることや,それについて作文を書くことがありました。
たとえば電車の中でどうすべきか,というときに,
たいていの子は,お年寄りに席をゆずる,もしくは譲ったほうがいいと答えます。
「私は,寝たふりをして譲らないことのほうが多い。」と,あえて悪い手本になりました。
「だって,座っていたいよね。」と。
単純に,道徳を正しいものだと教えるのではなく,
本当に自分は席を譲るのだろうか,他の誰かが譲ってくれないかと無視をしないだろうか,などと,
真剣に考えてほしかったというのが1つです。
その関連だと,「優先席は必要かどうか」ということについても考えてもらいました。
もう一つの狙いとして,子どもたちに,二面性を教えたかったというのがあります。
完璧な人間はいないし,人それぞれ長所と短所が必ずあると。
私の場合だと,授業や宿題のチェック・添削など,「教えること」は完璧にこなしました。
この点に関しては,自分で言うのも変ですが,完璧な先生だったと思います。
つまり,生徒たちに,
悪いところ,良いところを全部見せようとしました。
だれも完璧な人間などいない,すべてひっくるめて相手のことを評価してあげないといけないのだと,
子どもたちにわかってもらって,成長して大人になってもらいたかったのです。
ただし,このやり方は,学級崩壊につながる可能性がありますので,やらないほうがいいでしょう。
教える側のキャラクターにもよりますね。
自分でも,それが正しかったのかどうか,今でもよくわかりません。
成功したクラスであるとは自信を持って言えますが。
大人の悪い点,いたらない点を見て,
子どもたちが学んで大人の壁を乗り越えていく,こうしたことも確かにあると思います。
悪い見本もないと,人間は成長しないのかもしれません。
教育というのは人が相手ですから,
なかなか難しいですし,だから面白いのだと思います。
では。