こんにちは。
今日は食べ物の話です。
昔,Z会ブログというものを書いていました。
今見ると,私が担当をバトンタッチしてから更新されていませんでした。
都立の中高一貫校を指導していたときのブログです。
公立中高一貫校を受検される方は参考になることもあるかもしれません。
そこでも似たような話を書いたことがあると思います。
ある東大生の話です。
私が教室長を務めていた塾でアルバイトをしてもらっていました。
当然,勉強はできますし,バイトもしっかりやってくれましたし,礼儀正しいですし,
要するに,非の打ち所のないような好青年でした。
アルバイトの東大生数人と飲みに行ったときのことです。
「月見つくね」というお料理を頼みました。
つくねを焼いたものに,卵黄をつけて食べるものです。
そのとき,その東大生が,
「料理に黄身だけ使うとき,余った白身をどうやって使うか悩むよね。」と自然に切り出しました。
私は,何の疑いもなく白身を捨てていました。
そうやって育ったので捨てるのが当然だと思っていました。
しかし,その子にしてみたら,捨てずに使うのが当然だと思っていて,
そのように育ったわけで,捨てるなどとは微塵も考えないわけです。
私は,普段は無口なほうでもあり,黙って聞いていたのですが,
その場にいた他の東大生達も,白身を捨てないで育ってきたようでした。
「えっ,捨てちゃうでしょ?」などとは誰も言いません。
単純にもったいないとか,そういう問題ではないですね。
この子たちは,学力よりも大切なことを教えられて育ってきたのだと感じました。
「食育」というものですけれども,
箸を正しく使えるとか,ナイフとフォークを正しく使えるとか,
食事は残さないで食べるであるとか,好き嫌いをしないであるとか,
そうしたことのほうが,もしかしたら勉強よりもはるかに大切なことなのかもしれません。
あいさつであるとか,思いやりの気持ちであるとか,
そういったものもそうですね。
逆に言うと,こういう大切なものが身についているからこそ,
勉強「も」できるのだとも考えられます。
単純に勉強だけやらせていてもだめなのでしょうね。
では。