志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

ら抜き言葉

こんにちは。

最近ではテレビを見ていても,周りの人たち(子どもたちだけではなく大人も)を見ていても,会話においては「ら抜き言葉」を使う方が多く,「食べられ」,「来られる」,「見られる」…などと「正しく」話している方をほとんど見なくなりました。

言葉は変化するものですので,「正しい」かどうかというのは難しい問題です。ただ,現状の学校で習う文法の範囲においては,ら抜き言葉は「正しくない」ということになろうかと思います。

今の子どもたちですが,生まれたときから周囲の人たちが「ら抜き言葉」を使っていて,むしろ,「正しく」話す人のほうが極端に少ない中で育ってきたと考えられます。
したがって,「ら抜き言葉」のほうが自然だと感じているようですし,これがどうしておかしいのかわからない子や,どれがら抜き言葉でどれが「正しい」言い方なのか判断ができない子が一定数います。

このようにして言葉が変化していって,ついにはそれが「正しい」文法だと認められるようになっていくのでしょう。また,誤用が広まって「正しい」用法として認められたものもありますね。「独壇場」(どくだんじょう)という言葉がありますが,本来は「独擅場」(どくせんじょう)という言葉だったそうです。「壇」と「擅」では辺が違いますね。

現実的な問題として,教育の現場では,「正しく」言葉を使用するように,ら抜き言葉も直していく必要があります。簡単な見分け方がありますので,知りたい方はこちらをご覧ください。
昔,私が書いていたブログです。

言葉でも誤用がだんだんと市民権を得るように,現実の社会においてもルール違反がだんだんと市民権を得るようなことが少なくないと思います。
たとえば,喫煙所ではない場所だけれど,みんながそこでタバコを吸うようになり,そこがいつの間にかタバコを吸っていい場所のようになってしまうことがありますね。
昔よく使っていた場所ですが,駅前の横断歩道はあまり車が来ないため,また人通りも多い場所なので,赤信号でもみんな構わずに横断するようになっていました。車は青信号(歩行者は赤信号)でも,車が一時停止して注意をしながら通過していました。
学校の校則でも有名無実化しているものがあるでしょう。

「建前上」は正しいもの,しかし現実はそうなっていないものはすごく多いように思います。
個々のケースによって,やはり守るべき価値のあるルールである場合もあれば,ルール自体がおかしい場合もあるでしょう。
それらをどう考えて,どのように行動するか,これは個人の考え方や生き方の問題です。ただ,最近の私は,なるべくはルールを守って生きていこうと考えるようになりました。不器用な生き方で不便なことも多いのですが,歳をとって心の余裕が出てきた分,ルールを守る気持ちになったのかも知れません。

テレビを見ていて,そんなことを考えた朝でした。
では。