志学ゼミナール塾長のブログ

札幌市,中島公園近くの学習塾「志学ゼミナール」のブログです。

流し

こんにちは。

国語の文章で,横山充男さんの『光っちょるぜよ!ぼくら』という小説が出てきました。
応仁の乱の際に関白一条教房が下向したことで知られる土佐中村が舞台なのですが,小京都とよばれる趣ある街の桜祭りの様子を美しい筆致で描き出していると感じました。

この文章に「流し」が登場しました。おそらく昭和30年代ころの設定だと思います。
若い方で「流し」をご存知ない方もいらっしゃるでしょうから,ウェブで調べたものを引用すると,
「ギターやアコーディオンなどの楽器を持って酒場などを回り,客のリクエストに応えて客の歌の伴奏をしたり,ときには客のリクエストになど答えて自らの歌を歌う者のこと」
とあります。こういう渡世があったわけですね。

子どもたちは当然ですが,「流し」を知らないわけです。
知らなくても,文脈から「流し」とはどういうものかを推測できて,それで問題も解けるようにはなっているのですが,知っていればすごく簡単にこの問題は解けたでしょう。
私も「流し」を実際に見たことはありません。なぜ知っているかというと,父が酒飲みということもあり,「昔は流しがいて…」とか,「(有名な演歌歌手の)〇〇は,すすきので流しをやっていたんだ」というようなことを周囲の大人たちが話すのを聞いて,なんとなく「流し」というものがどういうものかわかっていったわけです。

国語の文章では少し古い時代のことが描かれているものが出題されることがあります。社会科でも,現代史の分野などて昭和のことについて知っていると理解が進む場合があります。
「流し」を例に書きましたが,社会全体の雰囲気というか文化というか,そういうものを知っているかどうかで大きくちがってくるのだと思います。この小説が取り上げられた問題文は花見の場面で,昼間からみんなで一升瓶を空けているのですが,子どもたちにとっては,どうして昼間からそれも大量に飲むのか,どうしてみんな酒好きなのか,そういうところもうまく飲み込めていない可能性が高いです。

こうした類のものは,映画で見たとか,小説で読んだとか,テレビのドキュメンタリーを見たとか,そのようにして知る機会をもつのがほとんどだと思います。学校や塾での勉強以外の部分でも,勉強に関して差がついてくるのです。
「ものを知っている」子がよく勉強ができる傾向があります。これは国語と社会だけではなく,数学でも理科でも英語でもそうですが,どうして「ものを知っている」のかは,環境の影響が大きいと感じます。

ご家庭での話です。
ふだん,とくに見たいテレビ番組がない場合にどうしているか。ダラダラとバライティーを見ているのか,ニュースを見るのか,テレビを消して本を読むのか。(以前に,見る番組がないからそのときやっていた「放送大学」を見ていて,それですごく難しいことをたまたま知っていた,という生徒がいました。)
新聞を取っているかどうか。
家族で会話する機会があって,社会問題についても話しているか。

子どもたちが「ものを知っている」かどうか,その延長として「勉強ができる」かどうかは,いくつか例にあげたような環境の力も大きく作用していると思います。

私の場合には,盆,正月には昼間から大人たちが酒を飲むような環境で育ったので,「酒」に関することはよくわかったわけですが。

では。