こんにちは。
先日,『アンナ・カレーニナ』の作者は誰だったろうかと,思い出せなくなりました。
歳を取ると,記憶力も落ちていろいろなことが覚えられなくなりますね。困ったものです。
今日は,書名や作者名の暗記について書こうと思います。
余談ですが,中3の夏休みにドストエフスキーの『罪と罰』を読みました。40年の人生の中でもっとも感銘を受けた小説がこれでしょう。たぶん人生の中で5~6回は読んだかと思います。中学から高校にかけて,ドストエフスキーの作品を読み漁ったことがあります。大学のときには「ロシア文学論」という講義をとったことがあり,週に1冊ロシア文学を代表する作品を読んできて,みんな(といっても受講生は少なかった)で感想を話し合うだけの講義でしたが,この時期にもプーシキン,ゴーゴリィ,ツルゲーネフなんかもいろいろと読んだように思います。
図書館の前にあった噴水の前のベンチでビールを飲みながら本を読むのが好きだったのですが,そんな学生は今はいないことでしょうね。
本題に入ります。
たまに生徒から,「作者名と著作を暗記するにはどうしたらいいですか?」と聞かれることがあります。そんなのは簡単です。その本を読めばいいのです。読めば必ず覚えられるでしょうし,読んで学んだことは血肉となって人生を豊かにしてくれるはずです。
同様に,「県名や国名が覚えられません。」という相談を受けることがありますが,これも簡単です。そうですね,その県やその国に実際に行ってみればいいのです。
しかし,現実問題としては,時間もお金もないですね。どうしても覚えられないものは,ネットか何かで覚えたい対象について調べてみるといいでしょう。本であれば,作者のことなりあらすじなりがわかるでしょう。何かしら興味を持つことがあれば,それを頼りに暗記もしやすかろうと思います。県名や国名についても,この国は〇〇で有名なんだ,知っていた〇〇はこの国にあったんだ,という発見があり,覚えやすいはずです。
思えば,高校時代にも,文学史の課題があってテストに出題されていました。トップを取る必要があった1回を除いて,全部適当に流していたわけですが。(目指していた大学の)受験にも出題されないし,作品名と著者を覚えても意味がないしバカバカしいという思いがありました。
たとえば,これは日本史でも暗記したので覚えているのですが,以下のようなことを暗記しました。
「室町時代には連歌が流行し,二条良基が『菟玖波(つくば)集』を編纂した。それを宗祇が芸術性を高めて正風連歌を確立し,『新撰菟玖波集』を編纂した。対して滑稽を重んじた宗鑑は俳諧連歌をはじめ,『犬筑波集』を編纂した。」
のようにまとめてひたすら暗記したわけです。
しかしながら,当時の私が,これらに収められている連歌を1つでも見たことがあるかというと,当然ですが,答えはNOです。
簡単にいうと俳諧連歌は言葉遊びですね。もっと砕けた言い方だとタジャレに近いです。当時は,何で「犬」なんて言葉が作品名についているんだと,疑問に思っていたのですが,調べもせずに暗記だけしていたわけです。
作品名と著者の暗記よりも,こうした背景を知っているほうがはるかに役立ちますね。(受験やテストに,という意味ではなく,教養として)
さらにいうと,少し触れた「ロシア文学論」の講義ですが,これこそが本質的にはもっとも役立っていることは間違いないでしょう。
暗記中心の試験を批判することは簡単ですが,現実問題として「必要」があって暗記するわけです。「調べてみる」という作業を取り入れると,暗記が少し楽しくなるかもしれません。
また,時間が許すのであれば,1冊でもいいので読んでみてはいかがでしょうか。100の作品名と著者名を暗記しているより,ただの1冊を読んだことがあるほうが,はるかに人生を豊かにしてくれるでしょう。
暗記に関していうと,とくに難関私立大学入試の社会科科目の試験などは細かな暗記中心の試験であったのを変えていこうとする動きがありますね。
今後,教育界全体の風潮も含めてどのようになっていくのかはわかりませんが,ただ,大学での「学び」というものは,暗記よりも作品を読むことに近いということだけは確かです。これは,文学に限らず他の学問でも同じだと思います。
では。