こんにちは。
教室は,中島公園という大きな公園の近くにあります。
この中島公園には池があり,夏にはボートで遊ぶことができます。池には鴨が泳いでいたり,大きな鯉がいたりと,みなさんの憩いの場になっています。
冬の間は池が凍るため,鴨たちを中島公園で見ることはなかったのですが,春になって少しずつ池の氷がとけ始め,今朝は一部で水面が顔をのぞかせていたのですが,そこに鴨たちが泳ぐ姿を見ることができました。
この鴨,調べてみると渡り鳥なのです。ただ,この鴨たちは実は「渡り」をしていません。
公園内に鴨々川という小川が流れており,冬でも氷りません。冬の間は,その川の少し上流の方の幌平橋という駅の近くで鴨たちは過ごしています。
おそらくですが,人間たちがエサを与えるため,鴨たちは「渡り」をしなくなったのではないでしょうか。
冬に鴨たちが過ごす場所は,ちょうどバス停のそばで,エサをもらうことができるのかもしれません。
春から秋にかけても,中島公園のあちらこちらで鴨にエサをあげている人たちを見かけます。もう人になついていて,いつもエサをくれる人を見つけると,ガァガァーと鳴きながら近寄っていきます。
この完全に飼いならされた状態の鴨たちと野生の鴨たちでは,果たしてどちらが幸せなのでしょうかね?
一度,市の職員の方が,公園内でエサをあげている人たちを注意していることがありました。公園内にもエサをあげないようにとたくさんの看板が立っています。注意されてから少しの間はエサを与える人たちを見なかったものの,またすぐに元の状態に戻ってしまいました。
そんな,市の職員の方たちが巡回,監視をしていた時期のことです。いつもエサをあげていると思われる人たちがこのようなことをお話しされているのを偶然に耳にしました。
注意されたことに対して不満を述べているのですが,
「別に悪いことをしているわけではないし…」と。
いろいろな見方・考え方があると思いますので,ことの善悪について論じるつもりはありませんが,エサをあげている人たちの中には,「自分は悪くない。鴨たちのためにもなる。」と考えている方がいらっしゃるということだけは事実のようです。
子どもたちを教育する立場で考えると,「子どものため,子どものため」と言いながら,何でもかんでもやってあげているために,結局お子様ご自身は何もできるようにならず,まったく子どものためになっていない,そうしたことがままあるように思います。
過保護とは別のことでも,たとえば子どもためといって,ものすごくたくさん勉強をさせようとされていて,かえって子どもが勉強が嫌になって成績が低迷するということも稀にあります。
今日の鴨の例だと,エサをあげている方たちは,どうしてエサをあげてはいけないのか,鴨にとってはどういう状態が本当に好ましいのか,そうした視点を持たず,自分の一方的な価値観で物事を判断しているように感じます。
常に広い視野で,多様な価値観・考え方を認めながら判断していかないと,子どものためと思っていたことが,実は逆効果だった,そういうことになりかねないのかなと思うのです。
では。